LOGIN同じ頃――。
御堂直之を乗せた車は、会場となるホテルから十キロほど離れた幹線道路で完全に立ち往生していた。前方で起きた多重事故は、大型車を含む数台が車線を塞ぎ、警察と消防による処理が続いているらしい。
数車線ある道路は、見渡す限り車で埋め尽くされていた。
一台たりとも車は進まない。
こんな大切な時に――直之はイライラをなんとか胸の中に押し込めた。 運転手が悪いわけではない。「……まだ動かないのか」
後部座席で、直之が腕時計を見る。
「申しわけございません」
運転手がバックミラー越しに答えた。「警察が事故車両の撤去を進めていますが、我々の位置か
しかしいくら直之がここで瑠理子を信じていても、画面の中の令嬢たちは違った。『この盗人!』『あなたのバッグから出てきたじゃない!』『最低!』『警察呼んだ方がいいんじゃない?』「やめろ……」直之の喉が震えた。 瑠理子が置かれた状況を考えると、胸が痛む。「まだ連絡はつかないのか!」 だあん、と車のドアを拳で叩く。運転手は「申しわけございませんが……」を繰り返すだけだ。 画面の中は刻一刻と進んでいる。『違うわ! 私じゃない! 私は人様のものを盗ったりしないわ!!』「わかってる!」『誰かが入れたのよ!』「ああ、そうだろう!」『信じて!』「信じる!」 画面に向かって叫んでも、会場の令嬢や瑠理子には届かない。 どれだけ答えても、瑠理子には聞こえない。 それがたまらなく悔しかった。「僕は君を信じてる!」 声を張り上げる。「だから……そんな顔するな」 瑠理子の目が少しずつ潤んでいく。 直之の胸が締めつけられた。「泣くな……」 拳を握る。「頼むから、泣くな……!」 しかし追い打ちは終わらなかった。『待って』 誰かが声を上げる。『もうひとつあるわ』「……?」 カメラが床へ向く。 ダイヤのブローチの横に、大ぶりなカメオ。「……!」 直之は息を呑んだ。 これは、御堂家が今回の慈善オークションへ提供した、アンティークの
女たちの視線が、一斉に瑠理子へ向いた。「……やめろ」 直之は低く呟いた。嫌な予感しかしない。 画面の中で、瑠理子もそれを感じ取ったようだった。 胸元へバッグを抱き寄せる。『……何?』 ブローチを失くした令嬢が、瑠理子のバッグをじっと見つめる。『バッグ』令嬢が言った。『中、見せて』 直之の眉が跳ねた。『確認するだけよ』『嫌よ」『何もしてないなら見せられるでしょう?』「そんな理屈があるか!」 思わず声が出る。『そういう問題じゃないわ!』「そうだ。見せる必要はない」 直之はまた画面の中の瑠理子へ話しかけていた。もはや、自分が瑠理子の立場に立ち、孤立無援の彼女を応援するひとりになったかのように。 だが令嬢たちは止まらない。『見せられないんだ?』『違う!』『だったら見せて!』『嫌!』『見せなさいよ!』 一人の女が瑠理子のバッグへ手を伸ばした。「触るな!!」『やめて!』「触るな!」 瑠理子がバッグを抱き込む。 すると別の女まで手を伸ばした。『触らないで!』『そんなに隠すってことは』『やましいってことよね?」 瑠理子が腕を掴まれ、バッグを引っ張られる。「やめろ……!」 直之の呼吸が荒くなる。 何人もの手が瑠理子へ伸びていく。 腕を掴んでバッグを引っ張り、彼女の身
『拾って』『それで床を拭きなさいよ』 白いハンカチが床へ落とされた。「もうやめろ……!」 直之の声が少し強くなる。『嫌です』 瑠理子が顔を上げた。『私は何も悪いことをしていません』 直之は画面に向かって頷く。「そうだ、拾うな。そんなことする必要はない!」『床を汚したのはあなたでしょう?』『ワインをかけたのはあなたたちよ!』「その通りだ」 画面の向こうの瑠理子へ届くはずもないのに答え続ける。「何も謝るな」 けれど周囲の女たちは。さらに瑠理子を責め始めた。『言い訳ばっかり』『百合絵に謝りなさいよ』『恩知らず』『生意気』 直之の眉間に深い皺が刻まれる。「ホテルはまだ繋がらないのか!」 運転手へ聞く。「ただいま代表番号へ……」 スピーカーからは無情なアナウンスが流れる。『現在、大変電話が混み合っております――』 自動音声に、運転手が思わず顔をしかめる。 不穏な空気を感じ取り、居心地の悪さを感じた。「またです」「なぜこんなに混んでいる!」「恐らく、この騒ぎが配
同じ頃――。 御堂直之を乗せた車は、会場となるホテルから十キロほど離れた幹線道路で完全に立ち往生していた。前方で起きた多重事故は、大型車を含む数台が車線を塞ぎ、警察と消防による処理が続いているらしい。 数車線ある道路は、見渡す限り車で埋め尽くされていた。 一台たりとも車は進まない。 こんな大切な時に――直之はイライラをなんとか胸の中に押し込めた。 運転手が悪いわけではない。「……まだ動かないのか」 後部座席で、直之が腕時計を見る。「申しわけございません」 運転手がバックミラー越しに答えた。「警察が事故車両の撤去を進めていますが、我々の位置から迂回路へ入るまでにも時間がかかるようです」「ホテルまで何キロだ?」「およそ十キロです」「……十キロか」 直之は低く呟いた。 歩くには微妙な距離だ。恐らくこのまま車に乗り続けた方が早く着くだろう。 本来なら、パーティーが始まる前に、直之は到着しているはずだった。 今日は御堂財団が主催する慈善パーティーが行われる。主催者側の人間が遅刻するなど、あってはならないことなのに。 もちろん、事故が起きた時点で、ホテルには連絡を入れておいた。 再度問題が発生中のため、電話をかけているが、先ほどから代表電話が異常なほど混雑していた。
「なにがおかしいの!」 瑠理子は堪らず百合絵に噛みついた。しかし彼女は答えない。代わりに取り巻きの令嬢が口々に叫ぶ。「言い訳ばっかりして」「百合絵に謝りなさいよ」「ほら、早く」 くすくす、と嘲笑う令嬢たち。 瑠理子はキッと彼女たちを睨み、反論した。「私は百合絵お姉様から、直之さんを奪ったりしてないし、招待状も偽造してない!」「それで?」「淳とも、あなたたちが言うような関係じゃない」「へえ」 瑠理子は宣言した。「だから、私は何も悪くありません」 しん、と会場が静まった。 ようやくわかってもらえると安堵しかけたが、瑠理子の反論は却って令嬢たちの心を刺激した。「生意気」「何、その態度」「こんなに百合絵が庇ってくれてるのに」「恩知らず」「謝れば済む話でしょう?」 令嬢たちに詰め寄られた。「嫌。私は悪くないもの」 しかし瑠理子は、頑なに譲らない。「は? まだ言うの?」「していないことを、認めるつもりはないわ!」 その言葉が。相手の癇に障った。 顔を歪めた令嬢のひとりが、いい加減にしなさいよ、と呟いた。 突然、肩を強く押され、瑠理子の身体が大きくよろめく。「きゃ……!」 辛うじて倒れずに踏みとどまったが、その様子を見て誰かがまた笑った。「危ないわね」「転んで床を傷つけないでよ」「もう帰ったら?」「帰る前に謝りなさいよ」「百合絵と御堂さんに」「あんたみたいなアバズレ、相
鼻につく、濃い葡萄酒の香り。頬を伝った液体が顎先からぽたりと落ち、淡い色のドレスへ染み込んでいく。 このドレスは、今日のために母が選んでくれたものだった。『瑠理子に似合うと思って』 そう笑っていた母の顔が、一瞬だけ頭をよぎる。「あなた……」 瑠理子の声が震えた。「今、わざと――」「まさか」 女は肩をすくめる。「そんなことするわけないでしょう?」「でも」「人聞きの悪いこと言わないでくださる?」 周囲から、小さな笑い声が漏れる。「でも、赤い方が似合うんじゃない?」「確かに」「さっきより華やかになったわね」 くすくす。 くすくす。 瑠理子を囲む輪が、また少し狭くなる。 誰一人止めようとはしない。「ちょっと!」 百合絵が遅れて声を上げた。「そんなことしちゃ駄目よ」「百合絵」「いくら何でもやりすぎよ」 そう言いながら百合絵は瑠理子へ駆け寄ろうとはしなかった。 ワインをかけた女の手を止めることもしなかった。 ただ、周囲から見れば、瑠理子を庇っているような位置に立っている。「瑠理子ちゃん、大丈夫?」「……」 瑠理子は百合絵を見る。 心配そうな顔。 優しい声。 でもその瞳だけがひどく冷たかった。「お使いになって」 別の令嬢が白いハンカチを差し出した。 瑠理子は少し戸惑った。「……ありがとうございます」 ようやく助けてくれる人が――そう思って手を伸ばした。「あ、違う違う」